「体にいい食べもの」を追いかけて、少し疲れた人へ。
季節の変わり目は、食のことを考えなおしたくなる時期でもあります。
「体にいい」と聞いて買った食材が、台所の棚で眠っている。
新しい健康情報を見るたび、前の情報が古くなった気がして落ち着かない。
そんな「追いかけ疲れ」を感じている方に、今日は少し違う眺め方をお届けします。
01「体にいい食べもの」は、なぜ次々に変わるのでしょうか
みなさんは、ふしぎに思ったことはありませんか。「体にいい」と話題になる食べものが、どうして数年ごとに入れ替わっていくのだろう、と。
ある年はこのオイル、次の年はこのスーパーフード。テレビや雑誌で取り上げられるたび、スーパーの棚から一時的に消えて、そして、いつのまにか話題にのぼらなくなっていく。
この入れ替わりの背景には、ひとつの構図があると私は考えています。それは、「一つの食材だけを取り出して、主役にしようとする」見方そのものの限界です。
食べものは、単独で体に働きかけるわけではありません。何と一緒に食べるか、何の代わりに食べるか、どのくらいの頻度で食卓にのぼるか。そうした組み合わせ全体の中で、はじめて意味を持つと考えられています。
そして、この「組み合わせ全体」に光を当てて、世界中で半世紀以上も調べられ続けてきた食事のかたちがあります。それが、今日の主役、地中海食です。
02地中海食とは、どんな食事のかたちなのか
地中海食とは、イタリアやギリシャ、スペインなど、地中海沿岸の国々で昔から続いてきた伝統的な食事のスタイルを指す言葉です。
特別なレシピ集があるわけではありません。おおまかに言うと、こんな顔ぶれで食卓が組み立てられています。
油は、オリーブオイルが中心。
たんぱく質は、魚と豆が主役で、肉は控えめ。
野菜と果物をたっぷり。ナッツを日常的に。
パンやパスタは、精製度の低い全粒穀物(ぜんりゅうこくもつ)が好まれてきました。皮や胚芽を残したままの穀物のことです。
注目していただきたいのは、ここに「これさえ食べれば」という一品が登場しないことです。地中海食は、食材のリストというより、食卓ぜんたいの組み立て方。いわば、料理の「型」ではなく、暮らしの「型」なのです。
03研究者たちは「一軒の店」ではなく「町ぜんたい」を眺めました
地中海食が世界の研究者の目にとまったのは、1960年代までさかのぼると言われています。地中海沿岸の地域で、心臓や血管の病気が比較的少ないことに気づいた研究者たちが、各国の食生活を比べる大規模な調査を始めたのです。
それ以来、何万人という人々を長い年月にわたって追いかける観察研究が、世界各地で積み重ねられてきました。そして、地中海食に近い食べ方をしている人たちでは、心臓や血管の健康状態が良好な傾向がみられた、という報告が繰り返しなされています。スペインでは、数千人規模で食事を実際に変えてもらう大がかりな研究も行われ、同じ方向の結果が報告されました。
ここで、少しだけ立ち止まらせてください。
これらは「地中海食を食べれば病気にならない」という証明ではありません。観察研究が教えてくれるのは、あくまで「関連」です。食事以外の暮らしぶりが影響している可能性も、いつも残ります。研究とは、そういう慎重な営みです。
図書館で医学書の棚の前に立つと、その慎重さが背表紙になって並んでいるのが見えます。発行年をたどっていくと、古いものは半世紀以上前にさかのぼります。一冊ずつは小さな報告でも、棚一段ぶん集まると、ひとつの眺めになります。
それでも、国や文化の違う場所で、長い年月をかけて、同じ方向の報告が積み重なってきたこと。この「積み重なり」こそが、地中海食がただの流行と違うところだと私は思っています。一軒の評判の店を紹介するのではなく、町ぜんたいを何十年も定点観測してきた。研究者たちがやってきたのは、そういう仕事なのです。
04主役は「食材」ではなく「パターン」です
地中海食の研究が私たちに手渡してくれた、いちばん大きな贈りものは、実は「オリーブオイルは体にいい」という個別の知識ではないと考えています。
それは、「食のパターン」という視点そのものです。
住みやすい町を思い浮かべてみてください。その町の良さは、一軒のすばらしい店がつくっているのではありません。歩きやすい道があり、日々の買いものができる店が揃い、公園があり、少し離れた高台に給水塔が立っている。ふだんは見上げもしないものまで含めて、配置がうまく噛み合っている。町の心地よさは、全体の設計から生まれます。
食事も同じだと考えられています。オリーブオイルの単独のはたらきだけでなく、「バターや動物性の脂の代わりに、オリーブオイルを使う」という置き換え。魚と豆と野菜が「一緒に」食卓にのぼるという組み合わせ。栄養素たちは、そうやって互いに補い合いながら働くという見方は、精密栄養学でも大切にされています。一人ひとりの体質や暮らしに合わせて栄養を考える分野です。
「何を足すか」より、「全体がどう組み上がっているか」。単品の健康食材は、パターンという土台があってこそ生きてくると考えられています。逆に言えば、土台が整っていれば、一品一品に神経質になる必要はない、ということでもあります。
この一週間の食卓を、空から町を眺めるように見渡したら、
どんな「町並み」が見えてきますか。
05地中海の食卓、三つの顔ぶれ
パターンが主役、とお伝えしたうえで、その町並みをつくっている代表的な顔ぶれを三つ、ご紹介します。どれも「これさえ食べれば」の主役ではなく、町を支える働き者たちです。
オリーブオイル
地中海の食卓の、いわば基幹道路です。オレイン酸という酸化に比較的強い脂肪酸が中心で、搾りたてに近いものにはポリフェノールなどの微量成分も含まれると言われています。ポイントは「足す」より「置き換える」。いつもの油をオリーブオイルに替える、という使い方が研究でも注目されてきました。
魚
青魚に多いEPA・DHAは、体の中でつくりにくい脂肪酸の代表です。地中海食の研究でも、魚を日常的に食べる習慣は大切な柱のひとつとされてきました。ここは、魚食の伝統を持つ日本の食卓が、もともと得意にしてきた分野です。
豆・ナッツ・全粒穀物
地味に見えて、町の土台を支える存在です。食物繊維は、おなかの中の腸内細菌たちのごはんになると考えられています。ビタミンやミネラル、ゆっくり吸収されるでんぷんの供給源としても、地中海食の研究で繰り返し光が当てられてきた顔ぶれです。
06日本の食卓は、思っているより地中海に近い
ここまで読んで、気づいた方もいらっしゃるかもしれません。
魚を食べる。豆を食べる。野菜をたっぷりと。これは、和食がずっとやってきたことと、よく似ています。
味噌や豆腐、納豆は、地中海食で言う「豆」の柱そのものです。海藻ときのこは、食物繊維の頼もしい供給源。地中海食と和食は、遠く離れた海のそばで、それぞれ別々に育ちながら、似た場所にたどり着いた食文化だと言われることがあります。
東洋には古くから、医食同源(いしょくどうげん)という考え方がありました。日々の食事こそが体を整える土台である、という意味です。地中海の伝統食が半世紀の研究で確かめられつつあることを、東洋の台所は言葉として先に知っていたのかもしれません。このあたりの東洋医学の知恵は、また別の機会に、じっくりお届けしたいと思います。
ですから、日本で暮らす私たちが地中海食に学ぶのは、「輸入食材を揃えること」ではありません。いまの食卓の型を少しだけ調整すること。それで十分に、あの町並みへ近づいていけると考えています。
日本の食卓への「翻訳」例
- 炒めものやドレッシングの油を、オリーブオイルに置き換える
- 週の半分は、主菜を魚にしてみる(焼き魚・煮魚・お刺身、なんでも)
- 味噌汁に、豆・きのこ・海藻のどれかをひとつ足す
- 白米に雑穀や麦をひとつかみ混ぜて炊く
- 間食を、素焼きのナッツひとつかみに替えてみる
07完璧な地中海食より、続く「ひとつ」
最後に、いちばん大事なことをお伝えします。
地中海食の研究で調べられてきたのは、何十年も続いてきた「暮らしの型」です。一週間だけ完璧に真似ることではなく、ゆるやかに長く続くことに、意味があると考えられています。
だから、全部を変える必要はありません。
先ほどのリストから、いちばん簡単そうなものを、ひとつだけ。
油を替える。それだけでもいいのです。
その小さな置き換えが、あなたの食卓という町の、最初の区画整理になります。
夏の名残の夕暮れに、いつもの焼き魚とお味噌汁の食卓へ、オリーブオイルの小瓶がひとつ加わる。
そんな静かな風景から、始めていただけたらと思います。
主役は一品ではなく、あなたの食卓ぜんたいの、やさしい町並みです。
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